七夕ってどんな行事?仏教?神道?中国起源?由来は?

なんで七夕と書いて「たなばた」って読むんだろ…

 

七夕って宗教っぽい感じがするけど、宗教と何か関係があるのかな…

 

七夕は中国からきた文化だよね?

 

そんな疑問をお持ちのあなたに、七夕についての雑学をどうぞ☆

 

目次

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七夕の由来、それは日本と中国のハイブリッド伝説だった!!

まずは七夕の起源をものすご~く大雑多に言ってしまうと、

 

①中国の織女(しょくじょ)と牽牛(けんぎゅう)の星伝説。

 

 

②この星伝説の織女にあやかり、中国では女性たちが七月七日の晩に針仕事の上達を願う、乞巧奠(きこうでん)という風習が生まれた。

 

 

③これら中国で生まれた星伝説や乞巧奠(きこうでん)という風習が、共に奈良時代に遣唐使によって中国から日本に伝わった。

 

 

④日本では、宮廷で七夕を題材に歌が詠まれるほどになり、そのころから貴族の女性たちの間では中国から伝わった風習を真似て、七夕の夕刻に針物の腕が上がることを祈って乞巧奠(きこうでん)の祭事を行うようになった。

 

 

⑤この貴族たちによる、中国の乞巧奠(きこうでん)の真似事から始まった祭事が、日本古来の棚機津女(たなばたつめ)の信仰と混じり合い、育まれていった。

 

 

⑥江戸時代には庶民に伝わり、針仕事のみならず、さまざまな手仕事や習い事の上達を七月七日の晩に願うようになり、やがてはさまざまな願い事を短冊に記す現在の形になっていった。

 

という流れで成立していきました。

 

いろいろと知らない言葉が出てきましたね。

 

ひとつづつ説明していきます。

 

 ※ちなみに織女のことを、多くのサイトで「しゅくじょ」との誤表記が目立ちますが、正しくは「しくじょ」です。

 

織女(しょくじょ)と牽牛(けんぎゅう)の星伝説

七夕と言えば誰もが知っている、あのロマンチックなお話ですね。
日本版だと名前が織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)のあのお話です。

 

織姫と彦星のストーリー

昔むかし、天の川の西の岸に、美しい娘がいました。 天の帝(みかど)の娘で名前を織姫といいました。

 

織姫の仕事は、その名の通り、機織りをすること。 天に住む人々の着物を縫うために、織姫は毎日休むことなく、機織りをしていたのです。

 

そんな娘をみて、天の帝はふと、 「これでは姫がかわいそうだ。そうだ、いつまでも一人では寂しいだろうから、あの子に夫を持たせてやろう」と思いました。

 

いっぽう、天の川の東の岸には彦星という若者がいました。

 

働き者で、いつもせっせと牛の世話をしています。 天の帝は、一目で彦星が気に入り、織姫と結婚させることにしたのです。

 

とても仲のよい夫婦になった織姫と彦星。 ところが、仲がよすぎて二人で遊んでばかり。

 

ちっとも仕事をしなくなってしまったのです。

 

最初は我慢していた帝が、とうとう腹を立て 「もう一緒に暮らすことはゆるさん!元通り、東と西に分かれて暮らすがいい!」 と、

 

二人を引き離してしまったのです。 それからの毎日、織姫は泣いてばかり。仕事もなかなか進みません。

 

そんな様子に、さすがにかわいそうに思った天の帝はいいました。

 

「織り姫よ、そんなに彦星が恋しいならば、1年に1度7月7日の夜にだけ、会うことを許してやろう」

 

それからは、1年に一度会う日を楽しみに、二人は仕事に精を出すようになりました。

 

でも、雨が降ると天の川の水が増えて渡れなくなってしまいます。

 

そんなときは、どこからともなくたくさんのカササギが飛んできて天の川に鳥の橋が架かるのです。[/box]

 

…そうそう、こんな話でした。幼稚園の時に絵本で読んだのを思い出しました。

 

乞巧奠(きこうでん)とは

」は願う、

 

」は巧(たく)みに上達する、

 

」はまつるという意味で、

 

乞巧奠(きこうでん)とはもともと、機織(はたお)りの上手な織女(しょくじょ)にあやかり、女性たちが裁縫(ほうさい)の上達を願う行事でした。

 

その後、乞巧奠(きこうでん)は、織女の伝説に合わせて、7月7日の夕刻に行われるようになります。

 

この、『針仕事の上達を願う中国古来の乞巧奠(きこうでん)の風習』が、星伝説と一緒に奈良時代に日本に伝わり、感銘(かんめい)を受けた貴族たちによって乞巧奠(きこうでん)が取り入れられ、宮中(きゅうちゅう)行事として行われるようになりました。

 

宮中の人々は、桃や梨、なす、うり、大豆、干し鯛、アワビなどを供えて星をながめ、香を焚き、楽を奏で、詩歌を楽しんだそうです。

 

風流ですねぇ。

 

中国で始まったこの乞巧奠(きこうでん)という行事が、日本に輸入され、日本でも執り行われるようになったのですね。

 

 

ちなみに、日本では冷泉家(れいぜいけ)が乞巧奠(きこうでん)の伝統を今も伝えています。

 

「冷泉家」は藤原道長の子孫で、『百人一首』の撰者の一人である藤原定家の孫、冷泉為相(れいぜいためすけ・1263~1328)が祖。

 

その後現在まで800年にわたり、代々が和歌正統の家として、歴世宮廷にゆるぎない地位を占めてきました。

 

今も和歌を家芸とする伝統と王朝文化の雅を伝えています。

 

その冷泉家に伝わり、和歌の上達を祈る七夕の儀式「乞巧奠」は、例年、旧暦の七夕で行われている行事で、今も京都御所の北にひっとりと佇む「冷泉家住宅(重要文化財)」で、和歌の門人を中心とした限られた人数を招待して行っています。

 

 

下々の下のそのまた下の人間である私には、本物のお公家さんになんてお目にかかったことはございません。本物の上流階級に属す人々の雅(みやび)な様子を想像してはため息がでます。こんな世界があるんですねぇ…身分違いって本当にあるんだなぁ…

 

棚機つ女(たなばたつめ)とは?七夕を『たなばた』と読む理由がこれ!

当時、日本にも織女と牽牛の物語と似たような伝説がありました。

 

古事記に登場する棚機津女(たなばたつめ)信仰です。

 

神話では天照大神(あまてらすおおみかみ)自身と言われています。

 

「棚機(たなばた)」は古い日本の禊(みそ)ぎの行事で、乙女が着物を織って棚にそなえ、神さまを迎えて秋の豊作を祈り、人々の穢(けが)れをはらうというものでした。

 

古事記には、神が降臨したのが7月7日という記載もあるそうです。

 

選ばれた乙女は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれ、神さまのために心をこめて着物を織ります。

 

そのときに使われたのが「棚機」(たなばた)という織り機でした。

 

それまでは7月7日の夕方を表して七夕(しちせき)と呼ばれていたこの儀式が、棚機(たなばた)にちなんで七夕(たなばた)という読み方に変わっていったのです。

 

それにしても大胆な当て字ですね。 

七夕は江戸時代に5節句のひとつに制定された

江戸時代になり七夕行事が五節句の一つとなると、七夕は庶民の間にも広まり、全国的に行われるようになりました。

 

五節句とは、一年間の重要な五つの節句(年間の節目となる年中行事およびその日)をいいます。

 

人々は野菜や果物をそなえて、詩歌や習いごとの上達を願いました。

 

そして、梶の葉のかわりに五色の短冊に色々な願い事を書いて笹竹につるし、星に祈るお祭りと変わっていきました。

 

笹竹は根強く,繁殖力も強く、風雪寒暖にも強い。

 

その生命力、神秘性を兼ね備えた笹竹は昔から神事に使用されていたのです。

 

また、笹の葉の擦れ合う音は、神を招くとされ、神聖なものとして扱われてきました。

 

そこから七夕の願いも、神聖な笹竹に吊すようになったのだと言われています。

 

そんなことで、別名、笹の節句とも呼ばれるようになりました。

 

※五節句…1/7人日(じんじつ)の節句、3/3上巳(じょうし)の節句、5/5端午(たんご)の節句、9/9重陽(ちょうよう)の節句があります。

 

この頃に、現在の七夕と同じ風習になったんですね。

 

七夕が7月7日に行われている理由とは?

織女と牽牛の星伝説は、中国で農作の時期を知るために行なわれていた、天体観測から生まれた物語です。

 

琴(こと)座のベガと呼ばれる織女星は裁縫の仕事、鷲(わし)座のアルタイルと呼ばれる牽牛星は、農業の仕事をつかさどる星と考えられていました。

 

そしてこの二つの星は、旧暦 7 月 7 日に天の川をはさんで最も光り輝いているように見えることから、中国でこの日を一年一度のめぐりあいの日と考え、七夕ストーリーが生まれました。

 

秋の収穫前に洪水が起こらないように、川の水を司る星の神を祀(まつ)る儀式から発展したと言われています。

 

数千年前の人たちが、今よりももっともっと近かったであろう星空を眺めながら、夏の宵を過ごしたんだなぁって思うとロマンチックですね。

 

『伝統的七夕』と呼ばれる七夕を知ってますか?

もともと七夕は7月7日だったのですが、明治6年にそれまで使っていた太陰太陽暦という月や太陽の動きを元にした暦旧暦)から、西洋式の太陽の動きを元にした暦(グレゴリオ暦)に変更されたため、従来よりも1ヶ月早くなってしまいました。

 

現在の暦での7月7日は、梅雨の時期に当たるところが多く、おりひめ星とひこ星を見ることは難しいのが現状です。

 

そこで、太陰太陽暦の7月7日が今の暦の8月中旬ごろにあたり、この時期は梅雨も明けていることから、国立天文台が中心となって、二十四節気の処暑(しょしょ、毎年8月23日頃)より前で、処暑に最も近い新月を1日目として、7日目にあたる日を『伝統的七夕』と呼ぶことにしました。

 

このため伝統的七夕の日付は毎年変わり、

 

今年は8月17日ですが、2019年は8月7日、2020年は8月25日です。

七夕と仏教や神道の関係とは?

7月7日は旧暦では、今の八月中旬から下旬頃で、七夕はその頃の季節行事でした。

 

8月頃になると、天候も概(おおむ)ね安定し、星空を見上げることができたわけです。

 

七夕は、現在は新暦で営まれることが多い行事ですが、一方で、月遅れの旧暦に準じて行われることが多いのが、「お盆」です。

 

そのため、今はまったく別の行事という印象が強いのですが、七夕とお盆は、旧暦においては同じ時期に行われ、密接な関係がありました。

 

旧暦の七月十三日から始まるお盆の準備を、七夕の日から始めたと伝えられ、七夕にはご先祖様への供養の意味もこめられていたのです。

 

日本でいう「お盆」とは、仏教の「先祖供養」神道の「祖先崇拝」が混ざり合った行事でああるため、七夕自体には宗教的な意味はなくても、ご先祖様への供養や、豊作を祈り感謝するその精神が、仏教や神道と結びついたのですね。

 

お寺でも神社でも、七夕祈願祭や七夕祭りを行う理由は、そういう事だったのです。

 

今はお寺も神社も節操なくあれこれイベントやってますからね。そんな感じで七夕に乗っかってたのかと思っていたけど、結構ちゃんとした根拠があったんですね。

 

まとめ

七夕の由来や、意味。読めない当て字など。

 

七夕は宗教行事ではないけれど、仏教や神道に相(あい)通づるものがあったということ。

 

いろいろと謎がとけました。

 

数千年も昔から、形を変えながらも続いている日本の伝統行事だという事もわかり、浪漫を感じます。

 

今年はもっと厳かに、遥か昔の日本の夏に思いを馳せながら、

 

夕涼みがてら七夕を楽しみたいと思います。

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