巨大な建造物が崩れ落ちたまま放置されていることで有名なこのループ橋。
その実物を目の当たりにし、鳥肌が…( ゚Д゚)
廃墟マニアの間では有名なこの建造物は、通称:未完成ループ橋と呼ばれ、正式名称は【赤沢八幡野連絡橋】(あかざわ やわたの れんらくきょう)と言います。
静岡県伊東市に現存する廃橋です。
こんなものがなぜこのまま放置されているのか…。
完全素人である44歳のおばちゃんが、実際に見てきました。
実録!おばちゃん廃墟探索!
乞うご期待…
目次
未完成ループ橋(赤沢八幡野連絡橋)の住所は?
Googleマップで現在地を確認すると、
413-0232 静岡県伊東市八幡野
と表示されます。
この廃ループ橋の詳細な住所というのは存在しないようですね。
まぁそりゃそうか、だって廃橋だもんね。
存在を山中に捨て置かれた、大きなゴミのようなもの。
番地なんて付くわけないか。
ちなみに、場所を特定した地図(画像を貼り付けただけ)はこちら↓です。
実際の地図はこちら。
次章でその詳しい場所を説明します。
未完成ループ橋(赤沢八幡野連絡橋)への詳しい行き方
赤沢八幡野連絡橋(通称:未完成ループ橋)の場所は、東伊豆にあります。
私は東京方面から向かいました。
なので、ほぼ海岸沿いに走る国道135号線を、熱海方面から下田方面へ南下する、という位置関係で説明します。
おすすめなのは、【食事処あかざわ】を目指してルート設定するのが分かりやすいです。
【食事処あかざわ】は、知る人ぞ知る白い巨大な観音様が目印です。
135号線沿いに突如現れる観音様にいささか驚かされますが、そのお顔はとても穏やかで慈愛に満ちており、自然に手を合わせたくなる不思議なアイコン。
油断すると勝手に合掌している自分がいます。←うそ。
食事処あかざわさんについてはこちらの方のブログに詳しく載ってます。
135号線を【食事処あかざわ】方面へ向かい、【食事処あかざわ】をそのまま通り過ぎて、約400mほど進むと最初に右折できる道が現れるので、ここを右折します。

【ルネッサ赤沢】の看板が出ている方面へ、道なりに500mほど進むと右手にヤツは突然現れます。



もっと奥の方にあるのかと思ってたら、道路の脇にどかーんと存在してます。
山の中に突然、赤い色の巨大な建造物が当たり前のように佇むさまを見ると、なんだか違和感。
え、そんなに堂々と?
だって、廃墟でしょ?っていう第一印象でした。
なんというか、ほんのちょっとそこには135号線が走っていて、人々の普通の生活があるそんな環境に、まさかこんな巨大な廃墟が、しかも崩壊しちゃってるなんてそんな非日常がすぐそこにあるって、え?!みたいな、なんだかアンバランスなんですよねぇ。
ちなみに、通称:未完成ループ橋ですが、未完成ではありません。
きちんと完成して、その後きちんと利用されていた期間があったのです。
未完成ループ橋(赤沢八幡野連絡橋)に潜入してみた!
赤沢八幡野連絡橋に関するサイトは数多くあり、いずれのサイトにも『車通りの少ない山道』の脇に存在すると記載があるのですが、私が行ったときは想像以上に車の往来がありました。
参考までに、私が行ったのは2018年10月中旬の平日午前10時頃です。
誰からも見られずに侵入を試みるため、車が来ないタイミングを見計らっていたのですが、これが結構車が通るもんで…。
え、話が違う…。
車が来ない時を見計らっても、道路からは直接山肌(急斜面)を登らなければならず、外から誰にも見られない所まで分け入るには多少の時間を要するので、もたもたしていると次の車が来る、みたいな感じでした。
もうね、おばちゃん足腰弱くなってるから、不安定な足場で木の根っこ掴んで体重を腕で支えて持ち上げるなん芸当はね、そんなのを次の車が来る前までにサクサクやるのはもう、難しいのよ…(涙)
しか~も、くもの巣がそこかしこに張り巡らされ、その真ん中には黒と黄色のキモイ蜘蛛がうごめいている…。
もう「ぎゃぉ!」って声が出ちゃうんですよ。
同行者には、「静かに!」とか言われるしトホホです。
まぁ気を取り直して進みます。
でもね。
なんてことはない、有名な場所なだけあって沢山の人が入り込んでいると思われ、中に入ってしまえばそんなに足場も悪くなく、それとなく道もできちゃってたりして、拍子抜けするほど簡単に現場まで辿り着きました。









どのサイトにも同じような画像があがっているので、そんなに真新しくはないですよね。
でも実際に行ってみると、思わず絶句し、その後「ぅわ~…」と声が漏れます。
ほんとにあるんだ…という感想と、崩落したこんな大きな建造物がいまだに撤去されずに堂々と残っている事への驚き。
思い切り簡単に行ける廃墟なので、興味がある方は行ってみるのもアリです。
東京からだと日帰りで行けますし、この辺りは観光地ですからいくらでも遊んで帰れます。
ただし、怪我のないよう、十分気を付けて自己責任で行動してくださいね。
行く場合は、必ず軍手と長靴を用意しましょう♪
未完成ループ橋(赤沢八幡野連絡橋)ができるまで
1973年 市内の不動産会社が八幡野の山間部に別荘地を企画
1974年 具体的な開発計画が複数の企業賛同の元に決定
1974年 山間部の土地開発に関する法律が改正
1974年 ~1975年の間に八幡野別荘地の開発開始
1976年 赤沢八幡野連絡橋(廃ループ橋)が完成
1977年 主導した不動産会社が倒産し開発が中止(倒産は1978年とも)
・放置期間 (時期詳細不明)何回かの再開発の企画
・計画が出るも具体化せず
・放置期間 (時期詳細不明)土地の管理
・利権が分散化
・放置期間 (時期詳細不明)開発区画の一部が県外の企業によって買収される
1993年 行政が赤沢八幡野連絡橋(廃ループ橋)の崩落を確認
いつ崩落したのかは不明。崩落を確認したのが1993年ということ。
出典:https://ameblo.jp/6blogs/entry-11612976963.html
崩壊したまま放置されたこの巨大ループ橋は、1976年には開通し、道路は完成しています。
決して未完成ではありません。
1970年代当時は、この辺りに別荘地を作るブームが起こりました。
伊豆半島は海もあり山もある。
別荘地としてはうってつけですね。
半島のあちこちで開発が始まりました。
ところがこの別荘地建設のための工事車両の出入りについて、地域住民から反対運動が起こりました。
その問題を解決するためにループ橋を建設した、という背景があったのですね。
1973年に企画され、順調に計画が進んでいるように思えましたが、すでに着工済みの1974年になって、まさかの山間部の土地開発に関する法律が改正されました。
ループ橋の立案時期が法改正の前だったことや、土地の権利者がコロコロ変わったり、事業者の倒産など、とにかく問題が山積みだったこの計画。
法改正前に計画されたこのループ橋の建設は、想像通り、違法建築まがいの工事だったようです。
崩落の理由は定かではありませんが、実際に体験してみてのあの歪みっぷりや脆弱っぷりは、ただの経年劣化とは言い切れないように感じました。
とにかく、企画から着工、完成までにいろんな複雑な事情(利権や思惑)が絡み合い、結果、現在までに放置され撤去もままならない状況を作りだしているのです。
詳細は結構ドロドロしているようですが、あまり掘り下げて調査するほどの根性はないので、この辺にしておきます。
未完成ループ橋(赤沢八幡野連絡橋)と池田建設の関係は?
崩壊せず残っている方の橋梁には、こんな注意書きがあります。

この注意書きは、ここに訪れた人なら誰もが目にする場所にあります。
恐らくこれが原因で、池田建設さんがこの廃ループ橋に関する黒い噂の矢面に立たされているのかもしれません。
でも、どうやら『黒幕が池田建設さん』というのは、デマのようです。
まとめ
いやぁ、おばちゃんもっとキツイ行程が待っているのかと思って結構な覚悟を持って臨んだ今回の廃墟探索でしたが、特に何の問題もなく、ついでに伊豆観光までして満足して帰ってきました。
侵入も難なくできて、時期的に蚊も少なくてこんなおばちゃんでも困難な目に遭う事もなく容易に探索できました。
山の中に見える赤い巨大な建造物はやはり目立ちます。
それに、これだけの建造物が崩壊しているところをなかなか見れるものでもないので、結構ショックでした。
気軽に探索できる廃墟として有名なだけはあるな、と思いました。
有意義な一日でした♪
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